2019-11-01

Artに気づいた瞬間。

今の僕より若い父と髙橋さん。1975年あたり

今の僕より若い父と髙橋さん。1973年あたり

 

 

人はみな平等であると云うが、たまたま生まれ落ちた環境というものがその後の人生に大きな影響を与えることは云うまでも無いであろう。

僕は1961年、開業医を営む神戸の比較的裕福な家庭に、偶然生まれた。

父は内科医で特級の変人であったが家庭環境というものはそこに生まれた子供にとって至極当たり前の環境で、「当たり前で無いことが当たり前」の環境で育った。

64歳の時に全てを捨てて家出する変人の父に関しては後述するが、それはさておき家の中には数多くのありとあらゆる骨董品と現代美術の類、そして本とレコードが溢れかえっていた。

通常、家庭環境の中に芸術的要因がなければその様な物に興味を抱かないが、それが皆無な戦中の家庭環境の育った父は突然変異的に芸術というものに対して強い興味を持っていた。

そしてそれだけには飽きたらず、数人の芸術家のパトロンにもなっていて家の中にそのような人たちが出入りしていた。

その中の一人が高橋伸夫という筆舌に表し難い破天荒な絵描きがいた。

父が絵の代金に酒手をはずむといつも泥酔し大暴れした挙句に、平和に暮らすご近所さんに対して橋の上から大演説をくりかえしていた。

今思い返すとそのような環境を母はけっして容認していたわけでは無いが、父と僕と弟のためを思ったのか黙認していた。

 

自宅の前で絵を描く髙橋さん。中央のマッシュルームカットは僕の弟。

 

そもそも子どもというものは、本当に危険な人には近づかない生来的な知恵を持っていて僕も弟も危険を感じるといったことはなく異形の画家を興味深く見ていた。

異形の画家はいつも酒臭くバサバサの髪、そして着衣から強烈な油絵具の匂いを放ちながら酒を呑み牛肉を生のまま食べたりしていた。

素面の時はとても紳士的で僕たちにペインティングナイフを持たせてくれてキャンバスに絵具を塗りつけながら、絵はこうやって描くのだと教えてくれたり、油臭いズボンのポケットからお菓子を取り出して食べろと言ったり、なにしろ強烈なキャラクターであった。

 

当の本人もキャンバスだけではなく、そこらにあった板切れやダンボールに筆を使わずにペインティングナイフに油絵具を塗りつけ直接描き、不要な絵具は自分の衣服で拭き取るという有様でものの数分で絵を描き上げていた。

そんな高橋さんは戦前、海外に留学していたと聞くのでおそらく画家として将来を嘱望されたエリートであったのかもしれない。だが戦争が画家の人生を変えた。

妻の病死、そして戦争や帝国主義といった不条理は高橋さんの感受性にとってはあまりにも大きなもので、傷を負った繊細な心の苛立ちを癒すものはアルコールと絵しかなっかたのであろう。

時には大声を出しながらキャンバスに向かい文字を描き殴り詩を書く事も度々あった。

そのような荒くれの絵描きだったが、当時小学生だった僕も弟も一度も恐怖心を感じたことはなかった。むしろかっこいいと思っていた。

 

やがて、人生を変える一瞬がきた。

ある日、高橋さんが板切れに赤い絵の具を塗りつけた抽象画に僕は強い快感を感じたのだ。

 

 

その一瞬は後の僕の人生の方向性を決めるものであったが、その時には知る由もない。

その様な人生のターニングポイントは若い時にはなかなかわからないものである。

仏教の用語に縁起という言葉があるが、往往にして人との出会いの中にそれはあることが屡々あるものだ。

 

 

人は誰もが脳に偏差を持って生まれてくる。

あるものは音に対して、あるものは文字に対して。あるものは、形態に関して、あるものは味覚に対して。

感受性は多種多様に満ちていてそのパターンが外界の事象に対して反応する瞬間がくる。

 

天才と呼ばれる人はすべからく脳に大きな偏差を持った人のことを指し、さらに重要なことは自分の脳の偏差に気づいた人のことだ。

いくら努力をしても人は天才の域には到達することはできない。脳の偏差に対して多くの経験やパターンの変化を学ぶことで天才は生まれるが、この順序が逆であれば苦労は報われない。

そして教育というものは、他者が子供達の脳の偏差を見極めることが最も重要であり、さらにその能力に応じた環境を用意する事であり、脳の偏差を均等化することなど時代錯誤も甚だしいことだ。

偶然にしろ僕はこの様な環境で育ったおかげで、小学生の高学年の頃には抽象画を理解出来る能力を身につけ、このことはその後の僕の人生大きな影響を与える結果となった。

 

 

突然変異的に生まれた父の芸術に対する感受性が僕に遺伝し、高橋伸夫という強烈なキャラクターがその後の人生の縁を起こしてくれたのだ。

幼少期のあの時代、もし母があの異形の芸術家に対して常識的な嫌悪感を及ぼし家から追い出していたなら僕の人生は違ったものになっていたであろう。

 

高橋信夫、1914年生まれ、1994年死去。享年80歳。

僕に最も大きな影響を与えてくれた酔いどれの絵描き。天国でも痛飲し絵を描いているかもしれない。

礼をいう代わりに冥福を祈るしかない。

 

 

 

 

 

 

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